《チャレンジ越後の名峰・火打山》2025/7/12

先日、越後の名峰「火打山」(2462m)にチャレンジしてきました。

2年前に越後富士「妙高山」にチャレンジしてから、隣にそびえる「火打山」も登ってみたいと思っていていましたが、今回とうとう実現しました。

 今回も、京都・龍谷大学時代の親友momoi君のお招きで、法務を兼ねての山行でした。

 

さて、福岡から空路で一気に信州松本空港へ。3時半に起床、火打山登山口に向かいました。今回は、親友のご家族さんと、私の4人チームです

5時に笹ヶ峰登山口に到着、ここで登山届を出して山行開始です。(写真①)

木々や花の咲く、キレイに整備された木道(写真②)をゆっくり歩いて行きます。

全体の行程は、こんな感じ、(写真③)山行行程は18.5㎞くらいかな?、とにかく長い💦💦

 約1時間かけて森林の登山道を皆でワイワイと登って行きました。火打山が妙高山と違うのは火山ではなく、海から隆起して出来た山なのでとても緑豊かでした。

「黒沢出合」の清流ながれる小川に掛かる橋を渡ります(写真④)さすがに越後の名山!ハイキングとは行きません。難所「十二曲り」に差し掛かります。ここからが、正念場です💦(写真⑤) 時間をかけて、必死💦によじ登りました。(綱場や鎖場はありません)何とか、登り切って「富士見平」へ到着(3時間くらいかな?)ここは火打山と妙高山の分岐点です。 少し休憩をして、高谷池ヒュッテ(山小屋)向かいました。黒沢岳の中腹を歩きながら、いよいよ目指す雪渓の残る「火打山」が見えてきました(写真⑥)

約1時間かけて「高谷池ヒュッテ」に到着しました。ここで、トイレ休憩とおにぎりとアンパンで山行補給しました。さて、問題発生💦💦 以前痛めた脚が痛み出しました(写真⑦)シップやテーピング、痛み止めで、リカバーをして山頂を目指します。湿地帯のよく整備された木道を歩きます(写真⑧)心が洗われるような絶景が続きます。高谷池や天狗の庭から雪渓が残る火打山を背景にナイスショット😆👍✨ 水辺に映る「逆さ火打」キレイでしょ(写真⑨) ここから雪渓が始まります(写真⑩)取り合えず「雪だるま」 (写真⑪)雪渓から、樹林帯へ そしていよいよ、火打山山頂へ、(写真⑫)登頂!(2482m)、そしていつものポーズ (写真⑬)ぬけるような青空の下、親友と登頂記念📸

ここで食べるお弁当は最高です、だってここまで4時間30分以上掛かってますからね☆ さて、名残惜しくも、山頂を後にしました。もう一度、雪渓を横切って(写真⑭)「高谷池ヒュッテ」へ ヘロヘロで、ヒュッテ到着(写真⑮)ここは、名物のプリンと珈琲で一休み (写真⑯)旨さにほっこり(^_-)-☆ 本当にきれいな山小屋です(写真⑰)さぁ、帰りの長い行程を考えて、名残惜しくも「ヒュッテ」を後にしました。しかし、足首はとても痛みます・・・・・・いっそう帰路は長く長く感じました。 4時間30,分かけて、登山口に到着しました。初体験18.5km、10時間のすばらしい山行💦💦でした。しばらく、山はお休みします。ちなみに、前日少し観光した「上高地」もとても、涼しく、キレイな湿地でした(写真⑲)そこから、見上げた「穂高連山」(写真⑳)いつか、登りたいなぁ(写真㉑)
まずは、経験とトレーニングですね。最後にこんな縁を作ってくれた45年来の親友に心から感謝です。(モンシン)

 


【個人山行】平尾台 お花散策

日時:令和7年5月4日(日)
ルート:10時20分 平尾台観察センター駐車場 出発〜風神山〜不動山〜堂金山〜昼食〜13時45分 平尾台観察センター駐車場 到着
メンバー:かおるさん ふじさん みやさん ゆみさん ようこさん あみ
今日は、有志の皆さんと平尾台のお花畑を散策しました。いつもとは思考を変え、『山頂』ではなく『お花』を目指すのがメインテーマです。
翁草は、丁度おじいちゃんと孫が一緒にいて(byゆみさんの言葉より)、その微笑ましい姿に癒されたり、シランのお花畑に立ち寄ったり、藤の花を間近に見ながらお昼にしたり、と『お花散策』ならではの一日を過ごしました。
駐車場に戻る途中で、『藤の花』のビュースポットをみんなが発見! 藤の木が岩肌に沿って枝を伸ばしていて、藤の花がとてもきれいに咲いていました。私1人では見過ごしていたので、本当にみんなに感謝です!! 
ゴールデンウィークの後半ともあり、いつもより車の往来が多い平尾台でしたが、今回のコースは混雑することも無く、途中、爆風に泣きつつも、のんびりとお花散策をすることができました。
まだまだ勉強中の身で説明不足な点も多かったのですが、今回も皆さんとご一緒することができて嬉しかったです。楽しいひとときをありがとうございました。(あみ)

《荻岳 スズランと絶景》2025/5/7

荻岳にスズランの群生があると聞き”今しか無い!”と車ですが(笑)登って見て来ました。行きは”ポツンと一軒家”に向かうかのごとき離合(九州人のみ通じる?)不可の登坂で不安しか無かったの(本当にこの道で合ってるの~?と同乗の中じん『8期』と悩みながら)ですが、帰りはなぜかあっという間に県道に出る坂道で無事でしたが、道すがら、茶色のモコモコと歩く獣を発見!すぐに車を降り追いかけ走るオバサン二人組。残念ながら正体を特定出来ず。足跡🐾だけカメラに収めました(中じんが)

そうそう、肝心のスズランですが展望所のすぐ直下に群生でた~くさんありました(この町の方達の努力の賜物だそうです)

この展望所からは祖母山、傾山、阿蘇五岳、久住連山の真ん中にあるそうで最高の眺望を臨めます。

途中立ち寄った、スズラン自生地公園にもスズランはありましたがまだつぼみで、開花はもう少し先だそうです。ですがこちらでは、ヒトリシズカを発見して小さな花の可憐さに幸せな気持ちになりました(クミ)


剣山(徳島)2024/8/5〜8/7

8/5〜8/7で徳島県の剣山に登って来ました。
6:52発の新幹線で岡山まで行き、特急南風で阿波池田まで。そこから四国交通バス、三好市営バスに乗って2時間30分でようやく剣山登山口に到着。と、同時にものすごい土砂降りと雷。「雷は即下山」との教えを守り、登りたい気持ちを抑えてしばらく待機。1時間30分待ってようやく雷がおさまり小雨になったので気を取り直し剣山観光登山リフトに乗って、一気に標高1750mまで。剣山頂上ヒュッテを目指し足早に駆け上がりました。
翌日は剣山頂上とジロウギュウ頂上に登りました。クマザサに覆われた稜線は本当に美しく景色の中に溶け込むような感覚でした。昼前頃から一面ガスに覆われっぱなしで頂上ヒュッテでまったり読書(漫画 岳 登山の勉強になりました)
最終日はキレンゲショウマを観てリフトで下山。リフト下の白い花の蜜を吸いにアサギマダラがたくさんいました。
アクセスは決して良いとは言えませんが、ここにしかない景色、感動、癒しがありました。ちなみに連泊した剣山頂上ヒュッテ。ご飯最高に美味しかったです。スタッフの方も大変優しい方でした😉 ガク


《チャレンジ越後富士!妙高山!2023/7/24》

友だちのお誘いで「妙高山登山前に予行練習で一座を登ろう」となり、 「いいよ(^^♪」とハイキング気分で。

長野県長野市の志賀高原へ行きましたら、何と、ここの主峰の志賀山は2035mと聞き 

「エェェェ~💦 こんな高さの山は登ったことないよ~」

 

 それでも友だち夫婦と妹さんに連れられて山行が始まりました。

きれいな湿地「渋池」の木道を通りながらハイキングをします。

 それでも、しっかり岩登りで綱場や鎖場もあり、がっつりした登山でした。

 

 2時間かかって何とか登頂しました。少し眺望を楽しみます。やっぱり、2000mクラスから見る眺望はすばらしい、回りの山々が深くて高いです。キレイな湿地の木道を通りながら下山し、それでも往復4時間の山行でした。

夜は、明朝の越後富士(妙高山)チャレンジにむけて早寝です。

 

翌朝、4時半起床、準備をして、妙高山に向かいます。

 途中、遠くにそびえる妙高山を臨みます、やっぱり高いですね(^^♪

 燕温泉登山口に車を停めて、そして登山届を提出します。

 ちなみに今日の山行のメンバーは友だち兄妹です。

 午前6時半 いよいよ出発です。遥かに見える妙高山にテクテクとまだまだ緩い坂を歩いて行きます、

 妙高山は火山です、だんだん登って行くとお湯が流れ硫黄の香がしてきます。

約1時間半ほど登るとお湯が流れる「北地獄谷」に来ました。

 このあたりから、ガッツリ岩場を登る本格登山がはじまりました。ひぃ~💦、ひぃ~💦💦言いながらダッシュ

友だちの後ろを登ります。(もうちょっとゆっくり行ってぇ~💦

 そして、今回の第一の難所「胸突き八丁」へ目 ほぼ垂直に近い岩場を這いつくばりながらのぼります。

長く💦長く💦険しい登り💦です、この登りいつ終わるのだろう💦

 

やっと登り終わって、6合目の「天狗堂」に到着、少し小休止(ここまで2時間30分)

これで終わりかと思っていたら、まだまだ険しい登りがつづきます(当たり前、一級山岳です)

2000m近くになると、何だか脚が出なくなりました。

塩アメ、水分(500ml4本持参)も十分に取りますが、おかしい?やっと登り終わって、6合目の「天狗堂」に到着、少し小休止(ここまで2時間30分)

 低血糖か?熱中症か?、もしかしたら標高が高いので低酸素?と考えました。

取り合えず、ひと休みしながら、塩クエン酸ゼリーを補給しました。 

そして、ロードバイクのヒルクライム時の「ノーズブレス」を心がけます。

口呼吸をすると、半分近くは鼻から酸素が逃げるらしいと自転車番組で聞きました。

さて、ゆっくりゆっくりと、急登をのぼりますと・・・・・・ついに第2の難所鎖場に到着です。

経験のない高さ、長さ、そして、滑落の恐怖のある崖を鎖をたよりに這いつきます。

何とか登頂・・・・・ホットしました・・・いえここはまだ9合目です(約4時間)

あとちょっと思っていると、下山の人から「まだまだ険しい崖があるから気をつけて💦」

エェェェ~(◎_◎;)、当たり前ですね、一級山岳ですから💦

 そのとおり、さらに急登、崖、岩、のオンパレードです。

しかし、風が冷たい、さすが2000m以上ですそこから、兄弟峰の「火打山」(2461m)を霧の向こうに見えます。

 一時は、高谷池ヒュッテで泊まって、縦走を考えましたが・・・・。

「まだ無理よ、欲張らない(^_-)-☆」と友だちがアドバイス

 

何とか、妙高山南峰に登頂2453mです、やっと登ったぞ~(^^♪

 そこから10m歩いて、北峰(2446m)へ、ここでいつものポーズ(^_-)-☆

感無量です。ただガスがかかっていて景色が望めずですが、絶景に変わりなし(^^♪

 晴れていると こんな感じです↓

 

長野県の山々

遠くに八ヶ岳や富士山

 中央アルプスの山々

 

昼食の🍙の美味しいこと、美味しいこと。

  40分くらい滞在して、険しい山をゆっくり下山しました。

 それでも急登を下るので、何度かすべって、コケながら下山です。

ちなみに疲労と脚の痛みがあったので登りより時間(5時間弱)をかけて下山しました。

それでも念願かなった、越後富士(妙高山)登山でした。

最後にmomoi兄妹の友情に感謝です。R5/7/24 モンシン

越後富士 妙高山のフォトギャラリー(モンシン)


《穂高の思い出》

令和元年8月奥穂頂上にて
令和元年8月奥穂頂上にて

およそ45年程前、私がまだ東京の学生時代の話である。

学食で遅い昼食をとっているとワンダーフォーゲル部の友人が「五月の連休に上高地経由で北アルプスに登らないか」と話かけてきた。

山登りには興味はないが上高地には行ってみたかった。高校の修学旅行で訪れた風景が鮮烈だったから。

彼が素人の私にくれた唯一のアドバイスが「登山靴は買っておけよ。」だった。

昼間は授業をさぼっては遊び歩き、夜はバイトに精を出している自堕落な生活を送っていた私は刺激が欲しかったのか、峻烈な北アルプスの稜線に登るのも悪くないと考えた。

上高地に入り河童橋から梓川に沿って前穂を迂回するように横尾へと向かう。ここまで来ると槍ヶ岳や穂高連峰の主稜線を目の当たりにするので気分が自ずと高揚する。ここから登りに入り幕営地の涸沢カールに到着した。五月とはいえ北アルプスはいまだあちこちに冬の佇まいを残していた。

「明日は早いから寝よう」彼に促されテントにもぐり込んだ。彼はふかふかのシュラフ、一方の私はケチった訳ではないが、全て着込めばタオルケットで充分と判断していた。

あに図らんや数時間後には強烈な寒さで目が覚め眠れなくなった。彼が安らかな寝息をたて熟睡しているのを尻目にそっとテントを抜け出した。5月のアルプスは冬装備が必須であることは常識だ。今なら分かるが当時の私にそのような知識は皆無だった。

寒さで空気が乾燥し透明度がまし、夜空では無数の星たちが輝いていた。その煌めきの美しさに息をのみ天から星が降ってくる錯覚にとらわれた。絶え間なく夜空を横切る流れ星にも心奪われ夜明けまで神秘的な天体ショーに見入っていた。

翌日は標高差1000メートル以上の険しい岩場を登っていく。友人に遅れないよう寝不足で重い身体を押し上げる。若さと体力で頂きを目指した。

気づけばそこは奥穂高の頂きだった。思いの外簡単に登れたことに少々拍子抜けしたのを思い出す。頂上は狭く穂高神社の社が鎮座していた。そこから望む360度の大パノラマは壮大な絶景であった。眼下の雲海にアルプスの峰が島のように点在し空の蒼は永遠に宇宙に連なっているようで、この上なく神々しかった。

展望を堪能したあとは来た道を慎重に下った。辛い思いもしたが、これ程素晴らしい景色に出会え心から彼に感謝した。

この話には落ちがつく。

連休の最終日。帰りのバスも列車も超満員で立ちっぱなし。山の手線のラッシュアワーより酷い状況でアパートにたどり着いた。疲れと睡魔でベットにもぐり込むやいなや深い眠りに落ちた。突然息苦しさで目が覚めるとベットが中に浮きゆっくり回転しはじめた。恐怖で声がでず手足が硬直し動かない。懸命に動こうともがくがままならず、「誰か助けてー!」と声がでた瞬間ベットが元に戻り身体が動きだした。全身汗まみれ。いわゆる金縛りである。時計は午前2時を回っていた。皆さんこの現象をどう思いますか?山に集まった霊を連れて戻ったのでしょうか。今でも謎めいた経験です。

桃野義博 令和3年6月3日 記